2004年度前半の活動報告
(2004年4月〜2004年9月)
■ 2004年度からは特に支援事業の企画は行わず2003年度に実施した支援事業のモニタリングと次期支援のありかたを模索するための視察を活動の中心におきました。その理由として、アゼルバイジャンの地元NGOと協力態勢をとって、バクーにいるチェチェン難民の全体状況を把握する必要が出てきたことが挙げられます。アゼルバイジャンは隣国アルメニアとの紛争で発生した国内避難民数十万人を抱え、その上にアフガニスタンやイランからの難民も流入しています。1999年秋からはチェチェンからの難民が一挙に大量に押し寄せました。このような土地で現地の状況を把握せずしてチェチェン難民に的を絞った活動を展開することはできません。2003年の11月、イスラム教最大のお祭りである断食月明け祭の時地元のNGOであるHAYATと出会い、情報交換ののち可能な部分から協力態勢を組むことになりました。最初の協力事業が「マイクロプロジェクト・手芸教室」で2004年1月に開講しました。
(写真:手芸講座に参加した子どもたちの第一作)
UNHCRがアゼルバイジャンのローカルNGOであるHAYATを通して支援しているチェチェン難民学校はこの時点で2校ありました。通称ハバ先生の学校、「チェチェン難民子弟学校」と子どもの健康と教育センター「ラードゥガ」です。UNHCR/HYATが講師の手当てを支給し、本会が材料費を負担することで合意しました。
ラードゥガでは男の子も参入しました。
針仕事は女の子のやること、という概念が強いチェチェンではありますが、ラードゥガの責任者は「男の子も女の子も手の指は10本、だれが手芸をやってもいいはず」と柔軟な考え方で希望者をつのりました。
生まれて初めて針を持った少年(15 才)
3月にモニタリングを行った折り、2つのチェチェン難民学校に開講した手芸教室が順調に稼働していること、受講希望者が大量に待機していることを受けて講座枠を拡張しました。
熱心に授業に聴き入る受講生たち
(難民子弟学校で)
■ 6月20日は国連難民の日です。この日に合わせて手芸講座の進行状況を監督していたHAYATの主導で関係者共催による手芸教室修了作品展を開きました。
手芸教室終了作品展はUNHCR/HAYATとUMCOR(米国の財団・この作品展のために刺繍絵の枠を寄贈)、チェチェンの子どもを支援する会の4者共催で6月18日、バクーの観光スポットである旧市街にある「工芸会館」で開かれました。記念イベントとしてアンサンブル・ノホチョによるチェチェンの民族舞踊が披露されました
アンサンブル・ノホチョとは子どもセンター・ラードゥガに併設されている青年部活動で民族舞踊の練習をしています。2003年度、本会はこのアンサンブル・ノホチョに民族楽器と衣裳の購入資金を支援しました。
(写真: 作品展準備中。ずらりとならんだ子どもたちの第一作 )
この手芸講座と作品展はアゼルバイジャン社会にチェチェン難民の子どもたちの姿を伝えました。例によって「チェチェン人=テロリスト」の図式はここでもまことしやかに流れているのです。「チェチェン人はお裁縫もやる普通の人間」であることをこの作品展が示しました。
一方HAYATにとってはこれまでの「注ぎ込むだけで結果の見えない支援」から、「目に見える成果が出る支援」への転換点となりました。HAYATと該当の難民学校からの強い要請をうけて本会からボランティア2人がモニタリングを兼ねてこの作品展に出席しました。
■ モニタリングに参加した本会ボランティア2人は難民の家庭訪問をおこないました。チェチェン難の子どもに絵と作文を贈った都内の小学校6年生が自主的に全校によびかけて集めてくれた衣類やおもちゃを配布しました。
支援物資配布の様子
配布対象となったのはアゼルバイジャン医師連盟から特に貧窮している家庭として紹介を受けた数軒です。どこの家庭も同じように苦しい生活をしており口々に窮状を訴えましたが、だれもが危惧しているのは「子どもたちが読み書きを修得できないまま成長している」ことでした。2003年秋から地元校に受け入れが再開されたとはいえ編入できたのはごく一部で、しかも安心して通いつづけられる保証がないのです。学力が遅れすぎていて授業についていけない、それがもとでいじめに遭う、賄賂を要求されるなど、本人たちの努力ではどうにもならない問題が立ちはだかっていました。
■ 2003年秋に開校した「孤児のための初等学校」ハジマート校を訪問しました。アゼルバイジャンでは6月7月8月は学年末休暇になっていますが9月からの地元校編入に向けて夏期自主補習講座を開いていました。この学校に対するUNHCRの支援は職員3人の手当と家賃の一 部のみで、しかも公立学校休業期間中は支給されないらしい、とのことでした。通っている子どもたちは遠方からバスや地下鉄に乗ってきていますが、幸いなことに年齢層が低いので交通費は無料になっています。1年生ぐらいの子だと親の送り迎えが必要ですが、その交通費がなく炎天下を歩いて帰ることもたびたびとのことです。授業は午前中だけです。一番暑くなる時間帯に空腹を抱えたまま下校する子どもたちにおやつが欲しい、という先生たちと親たちの強い要望をうけ、菓子パンと飲み物を支給するための資金を寄付しました。
1月に開講した手芸講座は6月の作品展をもって第一期(初級)が修了しました。講座の発案者であるハバ先生は早くも第二期の要請を出しました。チェチェン難民の生活はますますきびしくなり、多くの家族がバクーでの生活をあきらめ危険を承知で帰還して行く中、難民子弟学校(ハバ先生の学校)の生徒達は次期講座を受講するためにバクーにとどまっているというのです。20人分の材料費6ヶ月分として600ドルを拠出することを決め、講師のシャーラ・アスケロヴァさんに支払いました。ところがここに来て講師手当のドナーがいなくなりました。UNHCRが約束していたのは第一期5ヶ月分だけだったのです。講師みずから、半年分の手当を獲得しにUMCORにかけ合いました。
UMCORは米国の大NGOなので臨時の支出もその都度本部に申請しなければなりません。米国本部からの返事を待つ間、手芸講座は宙に浮いてしまいました。第二期講座を期待して必死の思いで待っている女子生徒達には大変つらい展開になってきました。ハバ先生は彼女たちの時間を無駄にしないように短期の「編み物講座」を開く提案をされたので材料費200ドルを提供しました。講師はロシア語担当のライサ先生があたることになりました。講師手当は無給でも自分たちの子どものためだから、と快く引き受けてくれました。あとからの報告によるとNRC(ノルウェー難民評議会)が賛同して月40ドルと少額ではありますが、7.8.9月分を支給してくれたとのことです。
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