2001年度チェチェン難民支援事業実施の報告
(2002年2月10日〜2002年3月29日)

おことわり

 ここに掲載するレポートは2002年当時のものです。この寺子屋支援事業は2003年の8月をもって撤退を余儀なくされました。
  現地の状況が厳しいことと、現地NGOの協力が得られなかったからです。このことがあって2003年からアゼルバイジャンに移りました。その後、難民を全面的に支援していたアウシェフ大統領が辞任に追い込まれ、イングーシの難民キャンプは次々に閉鎖されてゆきました。私たちの状況判断が至らず、ご期待に応えられなかったことをお詫びいたます。  

このときの紀行文はニュースレター「あるふずーる」のbPに掲載してあります。

 3月6日、支援物資を詰め込んだ大きな荷物を持って成田を出発しました。3月9日、目的地のイングーシに到着し、現地協力NGOの出迎えをうけ早速建設中の学校に入りました。

 その学校は、イングーシ共和国オルジェニキジェフスカヤ村の難民キャンプ「チーグル(=虎)」にある、未完成のパン工場の2階部分にあります。学校では、大勢のボランティアスタッフが工事の最後の仕上げをしていました。私たちが到着して間もなく教室の配線工事が終わり、電灯がともりました。

 3月10日正午、開校式に立ち会いました。学校の名前は「ラードゥガ(=虹)」です。私たちはその言葉の意味を「日本とチェチェンの架け橋か」と思ったのですが、単に「美しいもの」の代名詞だそうです。そういえばイスラム教では誰かの功績を名前や形に残してはいけない、というような教理があります。チェチェン人は敬虔なイスラム教徒なのです。先生および職員は全員難民です。先生に採用されたアーザさんも家がありません。教室のとなりに部屋を作りそこに住んでもらうことになりました。こうすれば一挙両得だからです。

 翌11日から授業が始まりました。9月から1年生になる15人の新入生は、ロシアの初等教育システムに合わせて入学前準備課程といって、今後の学校教育に必要なロシア語の習得から始めます。この日は自分の名前を書く練習をしました。

 教科書や絵本の確保に十分な予算を使いました。

 

 

 帰路のモスクワではいくつかの新聞社を回り、活動報告を行うと共に取材も受けました。これはすぐに記事になって各地の新聞に掲載されました。

難民がどのような状況で、どのような状態で過ごしているかについては
 チェチェン難民のページをご覧ください。


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