チェチェンについて--詳しく知りたい人のために--
チェチェンがどこにあるか、どのような人々なのか、興味を持つことが、戦争を終わらせるささやかな第1歩かもしれません。チェチェンは知らなくてもヨーグルトの産地としてのコーカサスならご存じの方も多いでしょう。チェチェンはコーカサス(カフカス)地方の一民族で構成する共和国です。チェチェンとは日本での呼び方で現地ではチェチニァと発音します。
チェチェン・コーカサス地方はプーシキン、トルストイ、レールモントフといったロシアの文豪たちの作品の舞台になりました。フランスのアレクサンドル・デュマもこの地方を旅行して作品を残しています。文豪たちの目にチェチェン・コーカサスはどう映ったでしょうか。
モスクワの真南、飛行機で約2時間のところに位置します。周囲はイングーシ、ダゲスタンなど、他のロシア連邦共和国に囲まれています。

広さは日本でいえば岩手県ぐらい、戦争前は100万人程度の人口であったと推定されています。(今は戦争状態なので人口を調査するのは不可能)
肥沃な土地と豊かな山林を有する農業と狩猟の国ですが、石油や天然ガスの地下資源も豊富で、それがロシアの侵略につながったという説もあります。
宗教はイスラム教、言語はロシア語とチェチェン語を公用語とし、ほぼ全員がバイリンガルです。
ロシアの「侵略」は1712年のピョートル大帝のカフカス侵攻を皮切りに、ほぼ30年から50年おき、今に至るまで300年も続いています。(日本の世界史教科書では「ロシアの南下政策」として少しだけ紹介されています)
1917年のロシア革命では「民族自決権」を唱えるレーニンに忠誠を誓って反革命軍と勇敢に戦い、革命の成功に貢献しましたが、「栄えあるソ連邦の構成国」となっただけで民族独立の夢は叶いませんでした。
1944年2月にはナチスに加担したという廉でチェチェン人丸ごと中央アジアに強制移住させられました。この移住でチェチェン人の半数が死んだと伝えられています。
1957年、スターリン批判とともにチェチェン人の名誉回復がなされ、祖国帰還が始まりました。豊かな土地と人々の勤勉さで30年後にはカフカス一の繁栄を誇るチェチェン共和国を復興させました。
折からのソ連解体に合わせて今度こそは独立できる、と思ったものの、ロシアの覇権主義は300年前と変わらず、独立の願いを武力で押さえ込む第一次チェチェン戦争が始まってしまいました。