ロシア軍侵攻から2年経った1996年12月、停戦成立後4ヶ月の写真です。特別にひどい破壊場所を選んだわけではありません。首都グロズヌィは特にひどく、無傷の建物を見つけることができなかったのです。誰もがこの戦争で家族を失っていました。この写真を撮った2年半後の1999年9月に、この廃墟のチェチェンに「テロリスト撲滅」の大義名分でロシア軍は攻め込んできました。ここに紹介する建物が現在残っている可能性はありません。第二次チェチェン戦争で更に数万人の一般市民が犠牲になったと伝えられています。

戦争の傷跡    チェチェンの人々

「国立チェチェン大学」 


1997年1月
撮影:岡山拓朗
校舎の原型はとどめず「塀」になっていた。

 

 

 


「旧市街のビル」

1996年12月
首都グロズヌィ
撮影:鍋元トミヨ
建物の様式からしてスターリン時代のものと思われる。
石造りの頑丈そうな建物もロシア軍の爆撃にはひとたまりもない。


「郊外の公園」 

1996年12月
首都グロズヌィ郊外
撮影:鍋元トミヨ

中心部を少し離れると建物がまばらになってくる。
公園の樹木はすべて燃えかすになっていた。

 


「農村の風景-1」

1996年12月
チェチェン西部 オリエハヴァ村
撮影:鍋元トミヨ

農村部の家屋は大きくゆったりとしている。1957年の帰還後、人々はゼロから出発して祖国を再建した。家族全員で働き30年かけてやっと皆で住める家を建てたとたん、ロシア軍が襲ってきた。


「農村の風景-2」 

1996年12月
チェチェン西部 オリエハヴァ村
撮影:鍋元トミヨ
建物と名が付けば大きな農家はもちろん、家畜小屋、犬小屋までも、点在する農家はすべてこのような姿になっていた。
隣のスターリィ・アチホイ村は家の原型をとどめず、森や林の木は倒され、焼けて枯れ果てていた。


「農村の風景-3


1996年12月
チェチェン西部 スターリィ・アチホイ村付近
撮影:鍋元トミヨ

農機具小屋などがぽつりぽつりと建っているような野原にも絨毯爆撃は来た。
春になっても虫もこないだろうな、と土地の人はつぶやいていた。


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