チェチェン戦争を知っていますか
(チェチェン戦争概略)
それは1994年12月、ロシア軍の侵攻で始まりました。
「チェチェンでは大晦日の夜は出稼ぎに行っている者も帰ってきて、みんなでお茶を飲みながら年越しをするんだ。そこへ爆弾が降ってきた」と、土地の人は言います。
19世紀にロシア帝国に武力併合されたチェチェン人にとって独立は長年の悲願でした。人々の願いを、ロシアは武力で押さえつけようとしたのです。大量の兵力を投入するロシアとチェチェンパルチザンとの戦争は1年8ヶ月続きました。この戦争で人口の一割にあたる十万人の命が犠牲になり、国土は廃墟と化しました。当然のことながら侵攻したロシア側にも大きな損害を出した結果、1996年8月、第一次チェチェン戦争は終わりました。
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1996年12月 首都グロズヌィに無傷の建物はなかった。 中心部から郊外にさしかかるあたりにある高層住宅。 ロシアはチェチェン独立の悲願を暴力で叩きつぶそうとした。 |
翌年1997年の1月には世界中が注視する中でチェチェン史上初めて、住民自らの手による大統領選挙が行われました。
しかしロシアが撤退したのは表向きだけで、復興資金や賠償金などを払わないばかりか経済封鎖に出たのです。チェチェン人は自分たちの大統領と独立らしきものを得ただけでした。生活基盤の復興は進まず、身内や親しい人を失った深い傷は癒えず、人々の心は荒んでテロ・犯罪の温床となりました。まさしくロシアの思うつぼにはまったのです。ロシアは停戦後わずか3年、1999年の9月にテロリスト撲滅の口実で、破壊するものは何も残っていない廃墟のチェチェンに又しても攻め込みました。
世界中のメディアにさらされての第一次チェチェン戦争では、ロシアは大敗北を喫しました。「メディアのせいで負けた」教訓から、今度は徹底的にメディアを規制し、国内的には情報操作、国際的には情報遮断の作戦に出ました。国連常任理事国である特権を生かして、国際機関を黙らせました。ですからコソヴォや東ティモールにはあれほど騒いだ国連もチェチェンには目をつぶっているのです。闇の中での「テロリスト撲滅作戦」はかつて日本軍が「匪賊討伐」と称してアジア侵略に狂奔したのと同じ、ひとつの民族を消し去ろうというものです。
「この前の戦争だって十分残酷だったけど今回の戦争から見ればあの戦争は何でもなかったという気にさえなる」と2000年3月に来日したチェチェンNGOの代表はその悲惨さを訴えました。テロリスト掃討の名目で一体何人が犠牲になったのか、今何がおこっているのか。現在のチェチェンがメディアの力で情報公開されるのはいつのことでしょうか。
世界は稀少生物の保存に熱心ですが、一つの民族が消されようとしている現実には無関心です。石仏破壊には怒りの声を挙げても、生きた人間が虫けらのように殺されていく戦争は黙認しています。
悲惨な戦争は今も続いています。
